熊本城  日本百名城【92】



 観光日: 2011/11/26

 コース:
  10:40 二の丸駐車場 → 西大手櫓門 → 南大手櫓門 → 宇土櫓 → 数奇屋丸二階御広間 →  →  →  → 14:50二の丸駐車場

西方の二の丸広場から


 お薦め度: ★★★★★    / 見学時間: 4時間10分(コースタイム2時間)









熊本城の起源は、中世に千葉城、隈本城が築かれ、安土桃山時代末期から
江戸時代初期にかけて加藤清正がこれを取り込み、現在の姿の熊本城が
築かれた。

日本三名城の一つとされ、御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように
建てられ、一大名の城としては「日本一」であるとの評価がある。

細川氏の居城となった後も盛んに改築が行われ、明治時代の初めまでは
大半の建物が撤去されずに現存していたが、西南戦争で一部の建物を
残して天守を含む御殿や櫓など主要な建物を焼失した。
現在は、宇土櫓や東竹之丸の櫓群が残る。

三の丸の石垣。







現在に於いて三の丸まで残されているのは異例。これは期待できる。







二の丸広場から手前宇土櫓、奥に熊本城を見上げる。










西大手櫓門へ





西大手櫓門内側



宇土櫓





西南戦争の直前に撮られた宇土櫓、熊本城の写真



宇土櫓へ。





宇土櫓から西出丸、奥に二の丸広場










宇土櫓から熊本城天守閣







天守閣へ直接行かず、北東の不開門へ向かった。





平御櫓跡。不開門を突破された際は、右の石垣階段部分を崩して
櫓で孤軍奮闘、闘うとの事。





平御櫓跡から南東方面へ向かう。







南東の櫓や城壁。物凄い高さだ





櫓こそ消失しているものの、このど迫力!当時の堅守さが伺われる。







当時のこの付近の写真





二様の石垣。手前が加藤清正時代の石垣、奥が細川氏時代に増築したもの。
建築技術の進歩により石垣の鋭角が上がったのがわかる貴重な石垣。












飯田丸五階櫓





飯田丸五階櫓から





数奇屋丸二階御広間







本丸御殿大広間の下の通路。
石垣と石垣の間に建物を建てるという類稀な建築方法。










本丸御殿大広間





昭君の間。

写真で見える範囲で100畳。奥に大名が座り、家臣が身分の順に
150人程座ったらしい。





狩野派の絵師によって中国前漢の元帝の時代の悲劇の美女「王昭君」
の故事が描かれ、天井には四季折々の植物が描かれている。















天守閣へ。






天守閣より南側景色





天守閣より北側景色





当時の城や城下町を再現した模型





天守閣断面図イラスト





明治初期の写真












旧細川刑部邸





美しい庭園

















この城はお薦め度は姫路城と並びトップレベル、見応えありありの城でした。

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