松山城
(愛媛県松山市)
日程 : 2020年9月28日
コース:
お薦め度: ★★★★★ / 見学時間: 75分(二ノ丸、三ノ丸まで観覧する場合は90分強)
この日訪れた松山城は姫路城、津山城とともに三大平山城の一つで
天守は現存12天守の一つ。また姫路城に次いで多い21棟の重要文化財を持ち
復元された建物をあわせると50基もの構造物が存在している。
歴史・沿革
豊臣秀吉の家臣で賤ケ岳の七本槍の一人として名をあげた加藤嘉明が、
関ヶ原の戦いでは徳川家康側として参戦し、その戦功として伊予を与えらた。
嘉明は1602年標高132mの勝山山頂に五重天守を持つ本丸を置き、山麓に
居住空間としての二の丸を設けたが、1627年城の完成を見ることなく
国替えにより会津へ移った。
その後蒲生氏郷の孫の蒲生忠知が入り二の丸を完成させたが、病死、
後継ぎがなく断絶し、1635年松平定行が封じられ、以降13人、230年余に
わたり親藩大名として明治に至った。五重天守は幕府への配慮からか
(地盤が軟弱であったためとの説もあり)定行によって三重三階地下一階
に縮小されたが1784年落雷によって消失し、70年後の1852年再建された。
その後、本丸の建物群は昭和に入り放火や戦災で門や櫓などが焼失したが、
松山市は城郭の復元を行って当時の雰囲気をよみがえらせた。
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