富山城  (富山県)



 観光日: 2018/8/13

 コース: 


 お薦め度: ★★★★    / 見学時間: 1時間





富山城は1543年頃に神保長職が築城したとされるが、1560年上杉謙信の攻撃
により富山城を追われ、神保氏の治世は僅かな間だったらしい。
その後、富山城は上杉氏と一向一揆の争奪の的となったが、1578年神保長職
の子とされる神保長住が織田信長の後ろ盾を得て富山城に入城した。

 しかし、1582年3月、長住は上杉方に内応した家臣に背かれて城内に幽閉
されて失脚し、替わって富山城主となったのが、佐々成政である。富山城に
拠点を構えた成政は富山城の大規模な改修を行った。





 本能寺の変の後、豊臣秀吉と離れた佐々成政は、1585年8月、
秀吉自ら率いる10万の大軍に城を囲まれ降伏し富山城は破却された。
 越中一国が前田家に与えられると、前田利長が大改修を行い金沢城から
移り住み隠居城としたが、1609年に建物の主要部をことごとく焼失したため
高岡城を築いて移り、富山城には家臣の津田義忠が城代として入った。
 1639年江戸時代、加賀藩第三代藩主前田利常は次男利次に10万石を与えて
 分家させ、富山藩が成立した。





模擬天守/複合連結式望楼型3重4階(天守)2重2階(小天守)





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