若松城(鶴ヶ城)  (福島県会津若松市)



 日程 : 2012年5月2日

 天候 : 曇り

 コース: 


 お薦め度: ★★★    / 総見学時間: 30分



この日訪れた若松城は別名会津若松城、或いは鶴ヶ城とも呼ばれる平山城。
本丸を中心に西出丸、北出丸、二の丸、三の丸が周囲に配置されていたが、
現在は本丸・二ノ丸と、復元された天守閣がある。





歴史は
1384年蘆名氏7代当主の蘆名直盛が館を造ったのが若松城のはじまりとされ
諸説あるが、15世紀半ばに黒川城とその城下が成立していたらしい。

以後、蘆名氏の城であったが、1589年蘆名氏と連年戦いを繰り返していた
伊達政宗が豊臣秀吉の制止を無視して蘆名義広を攻め、蘆名氏を滅ぼし
黒川城を手にし、米沢城から本拠を移した。





しかし、政宗は1590年に秀吉に臣従し、会津を召し上げられ、米沢城に
本拠を戻した。代わって黒川城に入ったのは蒲生氏郷で、1592年より近世
城郭に改造し、縄張りや城下町を整備。望楼型7重(5重5階地下2階)の天守
が竣工され城名は鶴ヶ城に改められた。





1868年、戊辰戦争の会津戦争(会津城籠城戦)で、会津勢の立て篭もる
鶴ヶ城は新政府軍に包囲され砲撃を受け、1か月間籠城の後、板垣退助
による降伏勧告を受諾して開城した。





会津戦争後い撮影された損傷した若松城の写真。
(展示されていた写真を写したもの)





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