吉田城  (愛知県豊橋市)



 観光日: 2016/8/19

 コース: 


 お薦め度: ★★★    / 見学時間: 20分





吉田城の前身は牧野古白によって1496年頃に築かれた今橋城で、その後
戦国時代に入ると三河支配の重要拠点の1つとして激しい争奪の戦さが
繰り広げられ、今川氏の統治時代などを経て徳川領となり、酒井忠次が
城代に置かれた。





その後は、武田氏と1572年より1582年の武田滅亡い至るまで攻防戦の舞台
となるが、1575年の長篠の戦いまでは徳川氏が劣勢であった。設楽郡の防衛網
を容易に突破した武田軍が南進した際は、吉田城下にまで押し寄せられるが
頑強に守り抜いた歴史もある。





1590年、豊臣秀吉により家康が関東に移封されると、池田輝政が東三河4郡
を統べる15万2千石の城主となり、吉田城および城下町の大改築や整備を
11年間にわたって行った。関ヶ原の戦いの翌年、輝政は近世城郭としての
吉田城が完成される前に播州・姫路に移封された。

(鉄櫓)




江戸時代には江戸幕府の老中・大坂城代・京都所司代格など有能な譜代大名
が城主に選ばれ、出世城などと呼ばれた。





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